弊社は日本の電気の黎明期である、明治26年の創業以来、130年余りに亘り、京都の電気の歴史と共に歩んで参りました。
こちらのページでは日本の電気の歴史と、山科電気工事を年表形式でご覧いただけます。

1878

明治11年3月(1878年)

日本で初めて電灯が灯りました。
使用したのは電気の放電を利用したアーク灯です。
電源は直列に繋いだ電池50個でした。
我が国ではこの3月25日を「電気記念日」としています。

日本で初めて街灯が点灯した銀座の様子(山科家に残る当時の浮世絵)

明治15年11月(1882年)

米国人が2000燭光のアーク灯を東京銀座で街灯として点灯させました。この様子を描いた浮世絵が当社に保存されています。

明治16年(1883年)

祇園一カ前と弥栄歌舞練場前の2ヶ所にアーク灯が点灯されました。これが京都での初めてのエレキ点灯でした。

明治20年(1887年)

京都電燈が設立されました。

明治22年7月(1889年)

京都電燈が需要家234軒を持って開業し、京都で初めて電灯が灯りました。
開業の時には木屋町高瀬川付近に大イルミネーションを作り、付近一帯が大騒ぎ。氷屋台や模擬店も出たようです。
当時の電球の寿命はおよそ200時間と短く、電球が切れた場合の損害保険もあったとか。

蹴上インクライン
画像出典:国立国会図書館「写真の中の明治・大正」

明治23年3月(1890年)

琵琶湖疎水が川端夷川まで完成しました。

ペルトン式水車

明治25年4月(1892年)

琵琶湖疎水を活用して、日本初の営業用水力発電所である蹴上発電所が完成しました。インクラインもこの電力で動きました。
その後、疎水の両側には30基の水車を動力に、精米・製粉工場が100軒もできたそうですが、これも明治末期から大正にかけて、ようやく電気に切り替える工事が増加し、水車の時代は去りました。
水力発電を市民の生活に活用しようと尽力した人物が、京都商業会議所(現京都商工会議所)初代会長である高木文平です。彼はアメリカのアスペンを視察し、水力発電を都市の電気事業として展開する仕組みを学びました。その知見をもとに、蹴上発電所で生まれた電力を電灯や電気鉄道などに供給し、京都における電力の普及と近代化を推進しました。

創業者 山科吉之助

明治26年4月1日(1893年)

山科吉之助が現在地に於て京都で初めての電気工事店として山科電機工場を創業し、電気工事請負及び電気機械器具製造等を営みました。
吉之助はどちらかといえば電気工事より製作の方が熱心で、特に避雷突針は商売を始めて以降、昭和16年、17年頃までの間に1000組くらいは作ったのではないかと思われます。
山科電機工場時代は製作物が主で、当時はダニエル電池、避雷針の突針、パラフィン線、押ボタン、ソケット、ナイフスイッチ、その他簡単な配線器具などを作っては、お客様の所へ取付けに行きました。
昔、避雷針やその工事を大量に注文して頂いたのは、宮内庁(御殿・離宮関係)、市役所(市内学校及び病院など)及び府庁(庁舎及び文化財関係)でした。

京都市電

明治28年(1895年)

民間企業の京都電気鉄道により、日本最初の市街電車が誕生しました。最初の路線は七条停車場と伏見町(当時)の下油掛の間でした。蹴上の水力発電所建設後も、電灯、動力の需要はあまり伸びず。結果的に市街電車が誕生した、と言われています。

御所へ出入りする際の通行証の役目を果たしていた御門鑑

明治28年(1895年)

この年、宮内省(現・宮内庁)より初めてのお仕事を頂きました。日清戦争がほぼ終り、大本営が広島より京都へ引越された時に頂いた、警備用の電話及びベル工事です。
この年より、宮内省(現・宮内庁)とのご縁が今日まで途切れずに続いています。

現在の東寺の五重塔。相輪の最上部に避雷針が取り付けられています。

明治43年(1910年)

東寺の五重塔の避雷針工事を行う。
避雷針は創業者の山科吉之助が自ら製作し取り付けを行いました。1992年7月三煌出版社の「町・人」に前久夫氏による「塔と雷」の文章が有り、この事が記載されています。
東寺様のお話によると、避雷針が設置される以前、五重塔は落雷により4度焼失したと伝えられていますが、設置以降、落雷による火災は起こっていないようです。

大正12年(1923年)

会社名を山科電機製作所と改名しました。

日本赤十字社京都支部第一病院

昭和7年~9年(1932~1934年)

京都第一日赤(京都第一赤十字病院)工事を施工しました。
入札参加者は当初、京都電燈(工事部)、大阪電気暖房、三機工業の4社で、当社が落札しました。

昭和16年(1941年)

戦前では一番遠方のお仕事であるNHK沖縄放送局の工事を行いました。6カ月間の工期でした。京都府庁におられた技師が、沖縄県庁の営繕課長に栄転され、その方の依頼で当社が施工させて頂きました。

初代社長 山科喜一

昭和28年10月(1953年)

創業60周年を機に個人営業を法人に変更し、山科電気工事株式会社を設立、初代社長に山科喜一が就任しました。

昭和30年(1955年)

大倉酒造(現・月桂冠株式会社)からの初めての受注がありました。きっかけは、大倉様の当時の大倉治一社長と山科喜一が軍隊での知り合いであったことでした。その後引き続き、月桂冠様の電気関係のほとんどを弊社が設計施工させていただいています。

勲四等瑞宝章

昭和45年11月(1970年)

山科喜一が永年に亘る業界及び関連団体への貢献が認められ勲四等瑞宝章を受章しました。

2代目社長 山科吉三

昭和49年9月(1974年)

山科吉三が2代社長に就任しました。
山科吉三は業界において一早く週休2日制を導入し、順次拡大、また、コンピューターの導入にも積極的で、福利厚生の充実、業務の改善に取組みました。

3代目社長 山科隆雄

昭和60年6月(1985年)

山科隆雄が3代社長に就任しました。

米国月桂冠(事務所棟)

平成2年9月(1990年)

米国カリフォルニア州サクラメント郊外のフォルサム市に建設された米国月桂冠(株)の工場に、製造工程のある重要な部分を制御するコンピューター制御盤を設計、製作、納入させて頂き、先方で組立てを依頼して無事稼働しました。これは当社にとって初の海外でのお仕事であり、グランドオープン式典には山科隆雄と、製作に携わった社員3名が参列しました。遠くの米国の地で当社社員の努力によりラインが動き、日本酒が生産され、米国市に“月桂冠“が愛飲されていることを想像すると、感激も一入です。

Bホール(左)・Cホール(右)

平成5年4月(1993年)

創業満100年を迎え、記念事業の一つとして社屋の新築・改築を行いました。東洞院通を挟み、東側の土地に福利厚生棟(Cホール)を新築し、西側の従来の建物は事務所棟(Bホール)として改築しました。
CホールのCはCentennial(100周年に建設)、Communication(社員間の、地域とのコミュニケーションの場)、Culture(文化的活動、社員の福利厚生の場)の頭文字、BホールのBはBorn(創業の地)、Base(中心的施設)、Business(仕事の場)の頭文字です。

創業百年の時に京都府から頂いた「京の老舗」の楯

平成5年6月(1993年)

京都府より「京の老舗」に選定され、荒巻禎一京都府知事より表彰を受けました。当業界では初の受賞です。

平成9年(1997年)

蘇州福田金属有限公司(中国蘇州市)の機械配線工事の現地ワーカーへの技術指導に、社員1名、電工1名を2カ月間派遣しました。

ISO

平成12年8月(2000年)

品質マネジメントシステムの国際規格である、ISO9001の認証を取得しました。以降今日まで更新を続けています。

平成20年(2008年)

資本金を2000万円から2200万円に増資しました。

平成21年(2009年)

資本金を2400万円に増資しました。

平成22年(2010年)

資本金を2600万円に増資し、今に至ります。

平成24年(2012年)

国内メーカー全社が白熱電球の生産を終了(一部特殊用途を除き)、LED照明が主流となってきます。

令和2年(2020年)

水銀灯の製造が終了しました。

旭日双光章

令和2年4月(2020年)

山科隆雄が永年に亘る業界及び関連団体への貢献が認められ、旭日双光章を受賞しました。